アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

徒労

最近ずっと人の話を聞いてる。将来を考えた相手との付き合い方、相手がだめになったときどういう対応をするか考えさせられてる。あんた自分のことばっかりだねという感想しか出てこなくて困る。でも本人は精一杯の誠意で相手のことを思って考えてるんだよな、地獄の蜘蛛の糸はそれだけで救いになるわけじゃない。

人と真剣に付き合って相手のことを真剣に考えてるからこそ厳しいことを言ったり覚悟を決めてほしい前向きになってほしいと迫ったりすること自体はよくわかる。よくあることすぎてよく知っている。でもそれは相手の弱さを受け入れて受け止めていること前提でやらなければ感情的でこわい人になる。相手の弱さにクレームをつけてもっと強くタフになることを要求するだけなら相手から見たらストレスや恐怖以外の何物でもないよね。強くなってほしい、そしてこっちのいうことを聞いてね、その方が正しいから、というのはあまりにも幸せがないように見える。人のあり方を人が決められると信じ込むのは傲慢で、人の生き方を身内がとやかく言っていい方向に持っていける、自分の考えが正しいからそれ以外は許せないと思うのも恐ろしい話、というだけなんだけど、こんな単純な話が通じなかったりする。でもさ、とはいえさ、と話が続く。

わたしは人と付き合うとき、その人になにも期待しないし、想い・気持ちみたいなものを向けていたとしても、それはわたしが勝手にしてることだから相手に伝えはするけど、相手の心に重く残らないように努力してるってことがよくわかった。ましてや、みんなあなたのためを思ってこんなにしてあげたのにその想いを切るなんてひどい!みたいな御涙頂戴メロドラマなんかありえてはならないと思っていた、だって悪いけどそれは鬱陶しいしやめてくださいってなるじゃない。(冷たい人だと思われても仕方ない、どうしてもその考えに迎合できない)

人は人から向けられる気持ちや想いのせいで動けなくなっちゃうことが実に多いし、それは本当に苦しいことだから。それを受け入れるにしろ振り切るにしろ、自分一人では無理だから変な刺激を入れて心にドーピングしてブーストかけるしかないんだけど、それを続けてると人格がおかしくなる。それをわかってるの?と仄かに怒りが湧く。わかるわけがない、わたしだって以前はわからなかった。

あの人がしてくれたことを忘れたくないと必死になって生きることは素晴らしく、その人を救いもするものだけど、それはそう思えるくらい信頼関係が出来上がっている人がしてくれたことだからそうなるわけで、ほとんどの人はどんなに自分が相手と濃い関係を築いている、相手のことを思い遣っている・気遣っていると思っていても全然的外れだったり足りていなかったりする。(こんなにあなたのことを思ってるのにあなたは…という抑圧は絶対にある、これを認めるのはほぼ不可能)思い遣りや気遣いが自分から出て行って相手に届いていないことの方が圧倒的に多いし、人は自分が人に割と大きな影響を与えられるという幻想を抱いている。でもそれは妄想で、普通に生きていて人が人に人生の局面で大きな影響を与えることなんてそうそうない。本来、本当の意味で人と関わるということはそうそう成し遂げられることじゃないから仕方ない。

もっとこうした方がいいとかこうしなきゃダメっていう言葉が出てくるのは、その対象の人ができない・うまくいかないということを信じてるからなんだね。例によって今いきなり気がついた。このことは思いがけない発見だった。その辺わたしは結局なにをしてもこの人はこの人なりのいいところに行くでしょ、それしかない、とたかをくくって信じているからそういうアドバイス的な厳しい言葉かっこわらいがどうしても出てこなくてどうしたものかと思っていたんだけど、出てこなくて当たり前だった。