アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

差別は快楽だとすると(総監視社会)

権利を獲得することと幸福に身を浸して生きることは全く関係ない。関係ないどころか、権利の主張が幸せを遠ざけることすらある。時代が違うと言えばそれまでだけど、女性主権ではなかったかつての女性は不幸なばかりだったの?別に女に限った話じゃない。昔が良かったという単純な話ではなく、虐げられていると思っている人は姿を変えただけで、実際のところ暗数は増えているんじゃないかという気がしてならない。

人は人を見た目で判断することもやめられない、それを悪として封印したふりをして、実際抑圧しているだけだとしたら人はどうなるのか想像できないわけじゃないだろう。差別は快楽だから、人がその気持ちいいことをやめられるわけがないし、暴力的に暴れることも一種の快楽だから、本人の想いや気持ちの持ちようひとつでやめることは困難。

権利って血の匂いがしない?それをやりたがる、やらざるをえない事情があるのはわかるが、わたしは一瞬たりともそれに合意しないといつからか決めている。

追記。ルッキズムについてもなんとなーくずっと考え続けてる。でも人様のルッキズム的な思想の上で比較的優遇されてきた人間として(若くてかわいい女というだけで十分ルッキズムのハイヒールを履かせてもらってたわけよ)非常に考えづらいことではある。