アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

合言葉は「ゆるせない!」

ある人に不誠実な対応をされたときに、その不誠実だった人がその後何事もなかったかのように楽しそうにしているところを見ると、許せない、ちょっと説教してやろう、という気持ちが湧いてくることがあるらしい。あいつはわたしの誠意を踏みにじったのになんで笑っていられるの?わたしはあなたのせいで今笑えない、むかつく、謝れ!だって謝るのが常識でしょ!?なんで言い訳するの!?許せない!!

となるらしい。

そして、怒りをぶつけた後に、あなたのためを思って言った、と付け加えるのも忘れない。

らしい。まじかよ。


伝聞形式かつ突き放して書いたのは、わたしにそのような現象が起こらないから。

これ本当に友人から聞いた話で本人が大変立腹してたから言えなかったけど、おっかない話だなと思った。その不誠実なことをした人の気持ちがわかるとか擁護したい気持ちはまったくないし、その人が礼儀知らずの恩知らずだなと話を聞いたときに思ったけど、それにしても。

友人は他人の不誠実さを責めたけど、実はこの責めている友人の方もべつに誠実ではないんだよな。本当に誠実な人なら不誠実なことをされたときにきちんと伝えるし、伝えるときも自分の本意がきちんと相手に伝わるように注意を払って伝えようとつとめるだろうし、すぐに伝えるのが不可能で自分の中に怒りを絶やさず持っていたとしても、その人が楽しそうにしていたからムカついた、という理由で怒り心頭に発するのはちょっとこわいなぁと思った。

その人が楽しそうなことと不誠実なことをしたということの間にはなんの因果もない。別の現象。怒っている人の中で、〇〇なのに✖︎✖︎している、と勝手に関連づけているだけなんだよ。この辺のことを理解できない人が多い気がする。これ言ったら否定されそうだけど、つまりは、「不誠実なことをしたのだからこの人は楽しそうにするべきではない」と思っているということでしょう?つまり、「誠実なことをした人は楽しんで良い」と反面思っているということで、この人は断罪的な思考の持ち主ってことになるんだよ。そして、不誠実なことをした人のせいでわたしは不愉快になった、その人のした不誠実なことは常識からも外れているし、だからわたしが怒りをぶつけることは正しい、と理由づけをして自分の行いを正当化している。自分の気持ち100なのよ。そんな動機で怒りをぶつけて聞いてもらえるわけないだろ。喧嘩になるだけだよ。自分の中の勝手な関連づけをもとにしているのに、後付けで常識だのなんだの一般論の物差しを持ち出して攻撃するから余計に伝わらない。この場合、怒っている人は怒りたいから怒っている、自分の感情の落とし所を見つけて嬉々として怒っているようにわたしには見える。

まあべつにね、わたしは友人がどんな考えを持っててもなんでもいいんだよ。わたしは〇〇な人しか✖︎✖︎してはいけない、とか思わないから。ただ自分を正当化するってこわいなって思っただけ。わたしは何かを許せないと感じたことがほとんどない。怒りすぎてはらわたが煮えくり返ったことは何度かあるけど、それは全て自分のことではなかったから。そしてそのときのことを思い出すと、許せない、という感触とは違った気がする。説教してやる、みたいな気持ちも起こらない。ただただ怒りを燃やすのみだった。

思えば、誰かに何か働きかけて変えてやろうと思ったことが一度もない。その人はその人でいいんじゃない?としか思わない。側から見ればわたしの方が優しくないね。冷淡だと思われるのもわかってる。でもやめられない。友人が人を責め、断罪するのをやめられないように。断罪は人に備わっているある種の欲求なんだと思う。願望とも言える。生きていれば誰だって、これでいいのだろうかという不安はあるわけで、自分が正しいと証明する機会をうかがっていたとしても仕方がないと思う。だからわたしは友人にこのことを話さない。彼女のことが好きで愛しているから、彼女の生き方、ものごとのやり方、思想に口を出したくない。彼女は彼女なりに生きるのが一番幸せだと思う。彼女は自身の変化を求めていない。彼女は周囲の変化を求めている。わたしは彼女に変化を求められたらどうしようかな。わたしは悪い人間だから、変化したふりをして、心の中では舌を出してるかも。まあそんなことはきっとないだろう。なぜなら彼女もわたしを愛してるから。結局相思相愛なわたしたちだった。不誠実でごめんなさい。許さなくてもいいよ。

 

追記。

そういえば昔わたしは友人が受けたひどい仕打ちに対して、怒りに震えて口が利けなくなるほど腹を立てたことがあって(しかもお上品なホテルのラウンジで…)、それを受けた友人は感激していたな。その時の目の感じを覚えてる。もうその友人は結婚してしまったからしばらく会っていないけど。純粋に怒りに燃えているところを見る機会ってすごく少ないよね。怒っているところが大変にセクシーだと言われて拍子抜けしたことがあるのを思い出した。