アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

猥褻なわたくし

痴漢には騒ぐのに、女性の体自体が猥褻化していることには誰も触れない。そんなことは到底認めることができないから。アイルトン・セナの時代のレースクイーンと現代のレースクイーンの性質が同じだと思うのか、アグネスラムと今のグラドルを並べた時、よりどぎつく「あたシコ」なのはどちらか。猥褻にしたらいいねやハートがより多くもらえる。(恋愛に去られて)おおむね性的なものだけが残されたのが現代だよ。

十年くらい前、後楽園ホールでボクシングの試合を見た。ラウンドガールお姉さんたちがことあるごとに出てきたように記憶しているけれどあまり記憶に残ってはいない。まだそんなに性的じゃなかったのだと思う。それよりもリングで選手が闘っているシーンしか覚えていない。願わくば今もどこかでは性的なものや血の騒ぐままのものに支配されずに、純粋ななにかが残っているシーンがありますように。

追記。

ここ数年、自分の仕事柄もあって「触れる」「触る」ということを考えている。多くの人は何かに触れるということが根本的にわかっていない。もうまっっったくわかっていない、というか知らない、そしてその知らないことは当たり前なことなのに、なぜかわかっています、知っています、と思い込んでいるので、そこが問題にもならない。とにかく自分を守るために他人を無視せざるを得ない状況でより人に正しく触れるということがやりづらくなっている(できなくなっている)ので仕方ないとは思うけれど、それでも今こそ「触れる」について考えて、正しく触れるということを自身で獲得する、できるようにしてしまうのがいいのだと思う。ほとんど全ての人は人の体に触る時にセクハラになると肝に銘じるくらいが本当にちょうどよく、セクハラを恐れて触れたとしてもそれは単に触っただけで触れるという丁寧さは持てず、ただ触っても痛みを与えるだけだということも同時に知る必要がある。どんなにそっと触ったつもりでも「触れる」ことができないのならそれは痛みになってしまうということを知らなければ、「触れる」方向への道は開かれない。

追記。よく殴り合いの喧嘩でさ、どっちが先に手を出したの!?みたいなことがあるが、片方の執拗な挑発に乗ってもう片方が我慢の限界を超えて手が出てしまった……ということが多いと思うの。例のDJの事件もそれに似ている。ハイになっていて誘惑に抗えなかった人が触ってしまった。ファンはアーティストがそばにきてくれたら嬉しいから理性ぶっ飛んで触っちゃったんだろうね、お互い不幸な事件。やっぱ先前のファンとディープキスしたエミネム先輩パナイっすよ。