アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

悋気講談話

世間知に優れた人の話を聞くたびに、そういう人たちにわたしのことが全く理解されないということがあるたびに安心する。わたしから見たら、その人たちはまるで幸せには見えない。なにをどうしても文句が止まらないように見える。そういう人は、延々と世間に対する文句や苦言を吐き続けて一生が終わるのかもしれない。メンタルを防御するために文句を言うことで先手を打っているのかもしれないが、わたしはメンタルを滅茶苦茶にやられるとしても、何かに文句を言うという性質そのものが元からないからその人たちがなにをやっているのかはわからない。文句を言ってダメージから逃れられるとしても、わたしはそのままダメージを受け切って死ぬほうがいいと信じている節がある。時折そのような自らの潔癖さに触れて、自分自身で驚くことがある。 本来、このようなある種の潔癖さは思春期の時代に置き去りにしなければならないとわかってはいる。けれども、わたしはそうしなかった、そうできなかった。他人がどう折り合いをつけて、この潔癖さを手放すのかわたしは知らない。知っているなら教えてほしい。いや、嘘だな。教えてくれてもいいが、懇切丁寧に説明されても、おそらく新たな安息の材料にしかならない。これをもってして自分と他人が違うとか、わたしは特別な感受性や感性を持っているとか言っているわけではない。むしろわたしは感性がないから、この手の潔癖さを保持できているという説もあるし、その辺りは突き詰めて考えてみても結局よくわからないで終わると思う。つまりわたしはいつまでたっても世間に迎合できないで、おそらくそれは死ぬまでそのままなんだろうということ。今仲良くしてくれている友人はいつまでそのままでいてくれるかわからない。わからないが、わたしが世間に迎合したら、きっと仲良くしてくれている人たちはがっかりしてしまうと思うし、わたしは死ぬまでこのままなので安心してください。(すごいことに、わたしは今まで出会って仲良くなった人のことを嫌いになったり拒絶したりしたことがない)(世間ってどこだよってかんじじゃない?世間の声とかどこで聞けんの?幻聴じゃね?)