アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

離人症だったんだった!!!

すっかり忘れてた。

この間お久しぶりの離人感があった。わたしにとっては懐かしい感覚。覚えてるうちに書いておく。

わたしの離人感は強い負のストレスがかかると脳みそだけが後退して身体からぼこっと外れるかんじ。不愉快なことやわけのわからないことを言われ続けたり強く干渉されたりするのがすこぶる苦手で、そういう状況に置かれた時に発動する。まじのバリアー。脳ってすごいよね。とても便利な機能。こうかはばつぐんだ。

ストレスを受けてると、だんだん体がふわふわしてきて、あ、きた、と思うともう目の前の人が何を言っているか全く理解不能になって、耳自体もかなり聞こえづらくなる、耳だけじゃなくて五感全部が鈍くなる、そういう時の自分は変に冷静で、あ、離人ってるな〜、てか何言ってるのかわからん、これ後から困るやつだ、うーん、でも全然聞こえない、しょーがないか、あ、身体冷たくなってきた、これはやばいな、ああやばいな、早く戻らなきゃ倒れるな、息しなきゃ、さっきから何言ってんだこの人…ってなことを思ってる。(これで戻ってこれないと失神するか過呼吸になるか吐く。)ってことが10年ぶりにあった。今回のは無事戻ってこれた。

久しぶりの感覚だから、正直懐かしさと甘やかさをおぼえる。健康になった証拠だから。幼い頃から家庭環境が不安定でガチャガチャしていたからか必死で自分の心と体を守ろうとする癖があって、その一端が離人症としてあらわれていたのだった。(だから家庭が荒れていた頃の記憶はほとんどなくて、この頃のことを人に聞かれると困る。なにもこたえられない。それでよく怒られる。)

まあだからなんだって話だけど。みんなこんな思いして生きてた/生きてるのかな。あ、でも離人を引き起こさせるひとはそんなこともないのか?わからない。わからないけど、昔のわたしが頻繁にこれになっていたということはとっても繊細だったし、繊細なりに周りを傷つけないように、自分にも回復不能な傷がつかないように必死だったんだなありがとうねってことはわかる。昔はよく知らない人とご飯を食べたり集団で食事するだけで吐くくらい繊細だった。一緒にご飯行ったひとに悪気はない、お気の毒に。

この10年で離人が徐々になくなりそれなりに精神が強くなったのは、他人と自分は徹底的に無関係であるという確信を自分の中で積み上げていけたからだと思う。その無関係である他人のために動く、というところに優しさや愛があり、それは押し付け合うものではない、それはそこに生まれる現象だということを理解したからだと思う。よかった。元気になれて。それは周りの人のおかげで、全然自分の力じゃないけど。

メンタルヘルスが軋むこともあるだろう。というかこの変な世の中を生き抜いていこうと思ったら軋んで当然。でもわたしはもう大丈夫なんだろうな。なにせ離人症だったことを忘れていたくらいだから。

 

追記。

この間聴覚障害の一種で、人が何か話していることはわかるけど内容が理解できない的な特集をやっていたけど、あれも軽い離人じゃないの?