月桂冠 つきのCM。永作博美とリ・ジョンホが夫婦役で出ていた。CMをこえて本当の生活を見せてもらっているようで強烈に憧れた。やまだないとの漫画「西荻夫婦」の世界に似ている。
追記。それは自分にはできないという一点で憧れていた。
明けましておめでとう。2023年もさみしさをナメてはいけない。人はさみしさでおかしくなる。さみしがる人をバカにするのもよくないし、自分のさみしさをあまりに放っておくのもよくない。人のセックスを笑うな、ならぬ、人のさみしさを笑うな、だよ。
ダイエットをやめたことがない。だからといってダイエットが辛かったことはない。体重計に乗ることを最高でも1ヶ月以上は空けたことがない。±10kgを経験している。マックスは52キロ。痩せるのは快感で、空腹も快感。ダイエットは体重減らして終わりじゃなくて、オリジナルの適正体重をキープすることだから一生続くの。でも体重が増えた自分も否定しない。増えたわたしはそれはそれ全然悪くない、むしろ女性らしくなって良い。わたしのダイエットの始まりは、いつもお洋服をより素敵に着こなしたいというところから始まる気がする。
ケーキやクレープを一生食べないなんて生きている意味がない、どうしたって生クリームに惹かれてしまう、とんかつや唐揚げだってマックのポテトだって美味いパンだって食べたい、カルビーのしあわせバタ〜もひと月に一度くらいは食べたくなる、モスバーガーのとびきりチーズバーガーとモスチキンが大好きだ。
好きな人たちと美味しいご飯を気兼ねなくもりもり食べたい、そのためにノーマルな食事を調整するの。ハレの食事を思い切りするために、ケの食事は確実に節制する。これはもう自身に課せられた任務みたいなものだと思っている。具体的には、
この辺を地道に気をつけるのが肝心。最近適正体重まで戻ったのでメモしておく。
わたしは変わっていく自分が好きだ。変わっていくものはなんでも肯定してしまうのかもしれない。愛する人たちとわたしだけは素敵な方に変わってほしいと勝手ながら願ってしまうけど、悪い方に変わっていってしまうこともそれ自体は肯定できてしまう、現状維持よりよほど良い。変わっていくことは何かをどうにかしようとした証だから。
わたしは考え方が変わるのが好きで、新しい考え方を得るために日々を生きている向きがある。自分の気持ちや情動にギリギリだったとしても負けなかった、そういう積み重ねだけを愛している。それを越えた先にのみ新しい考え方が光っているから。
追記。2022.12.1つまりわたしは自分の知らない人になりたい。
一昨日の朝起きたら、急に過去に知り合った男の子たちが遠くに去っていったのがわかった。元々存在していなかったことがわかった。存在できなかったから最終的に揉めるしかないと言うのも同時に知らされた。もしかしたら恋というのは存在を得られない(ウィリアムブレイクが言うところの汝の永遠の相貌やイグジスタンスではない比較する世の中のもの)ものの最後の砦というか、試金石なのかもしれないと思う。そこでふるいにかけられて、落ちていくもの/恋を信じずに愛に救われるものに別れていくのかもしれない。恋がなきゃ退屈だけど、それだけでは到底生きられない。
追記。自分を印象付けるために揉め事に頼るしかないということもある。わたしにはないけど。
追記。恋ではなく業だったのか。上記の全ての恋の表記を業に変えて読んでください。
学生のときに通っていた下北が、小汚いがそれが抜群に心地のいい街から綺麗でおしゃれで素敵な街に生まれ変わった。(裏はまだ汚いままだからそこがいい)昔の下北よかったよなぁという年寄りのノスタルジーもわかるけれど、それを薙ぎ倒す勢いで清潔になってうれしい。街は若者が闊歩して少額だとしても消費してくれてなんぼなんだよ。正直再開発前の下北はそこまでの元気はなかったように思う。少し前に下北に寄ったら抜群に雰囲気が良くなっていてハッピーな街になっていた。相変わらずあのきたねぇシーシャ屋は営業していたし、ラグタグも営業していたし、あの花屋兼飲み屋はもうないってか移動したのかな、あの商店街の奥の方の謎のバーはまだあったように思う。下北沢は永遠に若者にやさしい街であってほしい。
追記。下北でたくさんポイ捨てしたな、ごめんね、あとめちゃくちゃラブホテル利用したな、友達や男と水タバコ吸いまくったし駅近くの古いケーキ屋でケーキ何個も頼んで長居したな、今禁煙になったのかな、下北大好きだよ。