アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

イーストウッドの運び屋を観た

運び屋をやっと観た。感想とか述べるほど偉くないしそんなガラじゃないけど、家族ってなんなんだろうね。アールにもいちおう家庭があって、運び屋仲間の彼にも疑似家族としてのカルテルがあって、みんながみんな家庭や家族に縛られていた。ただ、家庭や家族の中で幸せになるというのには限界があるように見えた。(ここでいう幸せとは何も思い煩うことなく解放されているということ。)そして、家庭や家族に縛られていない力だけを頼りにしている麻薬王を殺した新勢力のやつらも、家庭や家族に縛られてはいないが力に縛られていることには変わりはないのでさらに苦しそうだった。

アールはデイリリーの生産に世界を見出すことを期待していたけど、結局は品評会や人付き合いに喰われてしまった、その証拠にアールはIT革命を拒んだ。デイリリーに本質的な幸せを見出していたら販売方法やガワの部分が変わっても生産し続けられたはず。デイリリーを自分の欲を満たすために利用したからそのしっぺ返しを食らったのかね、わからないけど。一種の認知症なんだと思う。一般的な病理の認知症ではなくて、現実を受け入れられなかった結果、偽りの世界を作り出して、認知機能そのものがクラッシュしちゃうやつ。だから運び屋をやれるんだよ。

コロナのせいで調子悪いし、一回サクッと観ただけだとあんまりみえることがないな。なにせアンディ・ガルシアマイケル・ペーニャに気づかなかったくらいだから。目が節穴でごめんなさい。眼科に行きたいけどコロナのせいでいけない。

アールが悪党のフリオに、仕事の仕方が自由すぎるからちゃんとやれみたいな説教されるところ面白かったな。イーストウッドならアールをめちゃくちゃにかっこよく描写することもできたのに当たり前にそうしない。それがまたイーストウッドのかっこよさを引き立ててしまうことになっていた。イーストウッドはかっこよさで映画の世界を引き締めてくれて、いつもかっこよさという方向性を示して指針を与えてくれる。ブラッドリー・クーパーイーストウッド作品だと硬派で味わい深い雰囲気が出る。やはり監督で映画を観るというのは大切なことなのかもしれないな。

本当に、イーストウッドジャームッシュかだよ。