アタリしか引かない。

※全てフィクションです。エロと精神とらぶ。

映画 ウーナ だってあなたは愛してるって言った。

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『UNA』

ルーニー・マーラベン・メンデルソーンの悲しい映画を観た。ウーナは名前。ルーニー・マーラ演じる見た目は美しいけど、幼くて光の射さない目を持つ大人の女。

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セックスのシーンがけっこうある。でもどのシーンも醜い。冒頭の鏡に顔を押し付けての後背位でのセックスなんて特に汚く見えるし、トイレに反響する声は喘ぎ声には遠く、呻き声にしか聞こえない。それにトイレというシュチュエーションが全てを物語っている。

ウーナにとってレイとの恋あい、性行為だけが幸せで最上だったということ。それ以外はゴミ。それはゴミみたいなことをしている自分もゴミってこと。そしてゴミでいることがレイとの恋あいを鮮明なまま覚えていられる手段にもなっている。

拠り所のない虚しい生活を送る中では、皮肉にもレイとの思い出が唯一ウーナを支えるもので、だからあの場所から離れられないし離れたくない。そこにいることで自分の人生が進まなくても、レイが帰ってこないとわかっていてもそこからどうしても動けない。大人になったはずのウーナが今苦しんでいることの全てをレイの仕打ちのせいにしたい、でもレイを明確に好きだった、愛していたという事実は消すことができない。レイが自分を愛していたという確証が欲しい、レイに愛されていたと信じている、でももしかしたらただのロリコン野郎だったのかもしれない。

物語中頃までは思春期の強烈な体験に、自分で自分を縛り付けているのかと思った。でもそれに勝るものなんてウーナの人生にはない。たぶん、全ての感情の昂り(最高潮)を1つの恋あいで経験してしまったら他のことなんてゼロに等しい。それを喪ったら当然心は死ぬ。ウーナにとって、時が経てば悲しみは薄れてその内忘れるという、普通の人には起こる都合のいい現象は起きない。タフじゃないから。情動の成長段階で壊されてしまったらタフになりようがないから。ウーナの立ち姿を見れば、人生が止まっている女性だということが分かる。痩せすぎた裸の背中はウーナの精神の脆さや、ウーナの心が修復不可能なほど壊れていることを物語る。

ストーリーの終わりの方、2人が観覧車に乗っているシーンで本当のことが明かされる。レイが言っていた人生最大の過ちってウーナと恋あい関係になったことではなく、もっと早くあの部屋に戻らなかったことだね。戻ったところでどうとも言えないかもしれないけど。

 

いいなと思った字幕があった。fucked meっていうのを、わたしの中に入ったと訳していたのがよかった。秋の夜長、悲しい話を観て過ごすのもよかった。

ハニー、眠れぬ夜なんてないわ。

ロマンチックな夜の東京散策から駅の喧騒まで帰ってきて別れ際、眠れぬ夜を過ごしてね、と言われた。

このまま帰らされるのか、と思ったけどすぐに、いやこのまま帰ろう、と思った。いつもなら別の人を自分勝手に呼び出して第2の夜を始めたりするのに、この日はそんな気分になれなかった。

 

このまま帰ってもドキドキして眠れないかなって思ったけど、それは杞憂に終わった。よかった。わたしはどこでもいつでも睡眠が取れる。だから風の吹く代官山の夜を抱いて寝た。

最終章なんて始めたくなかったのに。

あっもう終わりだと思った。電話の声を聞いて確信して泣いた。わたしが間違えてかけた電話に出た声は優しかったのに。そういうことってあるよね。

一年以上前に恋人ではなくなって、それから気をつけて甘え合う関係になって、先日とうとうわたしの中で終わった。

さようなら。もう男の子じゃないならいらない。

凶悪のリリーさんが父親にそっくりな件。

わたしは母親より父親の方とウマが合う。

でも顔を見るたびに映画『凶悪』のリリー・フランキーに似てるなって思うからちょっといやだ。(いやだけどそんなところも実は好き)

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引くほど似ている。

 

父親はどうやっても堅気にはなれない人間で水商売が生業だし、かと言って凶悪で外道な人間にもなれない。人を殺す度胸なんて絶対にないし。

でも父親に会うと許されている気がする。わたしが困ったらいつでも面倒見てくれるだろうなって。父親はわたしを愛してはいないけど、それが心地いい。愛なんて挟まなくても冷静に優しいから信頼できる。

 

わたしが物心がつくかつかないかくらいの時期に父親といるときに父親のいい人らしき美女に出くわした。今も顔が思い出せるくらいに綺麗な女性で、わたしに関心を持っていない素ぶりだったのが良かった。母親よりもその人の方が正しいと感じたのを覚えてる。明らかに社会的でない風なその人の方が信じられると思ってしまった。

今思えばそのときすでに道は決まっていたってことだね。

三つ子の魂百までって言葉は本当侮れないよ。

 

芸能人似という甘言

〇〇に似てるよね!って褒め言葉じゃないからほとんど人に言わない。

それは〇〇の下位互換ですよねと言う意味で、しかもただの主観だから信じるに値しない。〇〇に似てるって何人か芸能人の名前を挙げられたことはあるけど、それは喜ぶべきことではない。

 

我思うにわたしは蒼井優に似てるんだけど、それは主に自虐だから。蒼井優本体は超絶可愛いし素敵だけど、似てるとなると話は違ってくるからな。

でもこの前、宮沢りえに似てるって言われるでしょって言われて分かりやすくテンションを上げてしまった。

でも別の日にはミシェル・ロドリゲスに似てるって言われて苦虫を噛み潰したような顔をしてしまった。(ミシェル・ロドリゲス超可愛い大好きって言ってる人に言われたからまだ救いがあったけど)

 

そんな可愛いところもある。人間だもの。

I wanna believe in 理性というやつ。

わたしは人のも自分のも、理性というやつを信じていない。(かろうじて理知的な人のことは信じているけど、そんな人は普通に暮らしていたら希少)

バレなきゃいいと思っているから浮気をするし、隠し通せばなかったことになると本気で思っている。自分の中だけで完結するものばっかり選んできた。

理性を信じていないというか、理性を軽視していて大切にしていない、大切にできないって言う方が今の状態として正しいのかもしれない。

理性的で手を出してこないと信じきっていた男性たちが、目の前でそれを捨てて手を伸ばしてきた瞬間を見たらますますわからなくなった。(わたしに人を見る目がないからじゃないよ)

こんな話を人にすれば、お前が無意識のうちに誘ってるんだろとかそれだけ魅力的ってことだよとかガードが緩すぎるせいだとか言われるからひっそりと悩んでいるよ。それってセックスだけを求められてるって思うからそういう発言になるんだろうけど、実際は違うからね。セックスだけが目的で手を出すなら全く問題ないけど、それ以上を求められるのが困るんだよ。

欲しがる人は理性なんてすぐに捨てるからな。はじめからなかったみたいに。それが信じられないって話。

追記20200422

昔あの人に男を見る目がないって言われたけど、あの人は一般男性の頼りなさ、不確かさを知らない。普段はしっかりしている一般的な男の人がわたしと前だと煮崩れ起こした豆腐みたいな、カッコ悪くてださいことになるなんてことは想像つかないか。

セックスと方言とAV標準語問題。

常々疑問だった。なぜ普段は方言を喋る人がセックスになると標準語になるのか。

大阪の友人から愚痴を聞いた。セックスをする時に標準語で喋ってしまうと。

 

わたしたちはその原因について話し合おうとした。しかし話し合う前から結論は出ていることがお互いにわかっていた。

 

『AVが標準語だからじゃない?』

これだ。これしかない。加藤鷹は罪深い。

 

世の方言を喋る方々はそのまま方言を生かしたセックスをしてほしいな。だって変だよ。普段はあかんとか言ってる人がダメだよとか急に言いだすのは。さむいじゃない。特に関西圏の人はよろしく頼みますよ。AVの呪縛から解き放たれよ。