男と泊まって昼過ぎに起きて、安くて美味しいタバコが吸える中華料理屋に入ったら、太った中国人の女性2人が楽しそうにおしゃべりしている隣の席に通されて、ここは当たりの店だなってウキウキしてたら、男が小声で「となり」と言った。
意味がわからなくて、んん?って聞き返したらラインがきて、『おかずクラブ』と一言。中国語じゃなくて日本語だったし中国人女性じゃなくておかずクラブだった。
ラーメンは美味しかった。
男と泊まって昼過ぎに起きて、安くて美味しいタバコが吸える中華料理屋に入ったら、太った中国人の女性2人が楽しそうにおしゃべりしている隣の席に通されて、ここは当たりの店だなってウキウキしてたら、男が小声で「となり」と言った。
意味がわからなくて、んん?って聞き返したらラインがきて、『おかずクラブ』と一言。中国語じゃなくて日本語だったし中国人女性じゃなくておかずクラブだった。
ラーメンは美味しかった。
名前を呼ぶ人
モテる人は人の名前をよく呼ぶ。人の名前を呼ぶのがさり気なくうまい。
そして人は名前を呼ばれれば呼ばれるほど呼ぶ人のことを好きになる。犬や猫と一緒だな。
というのも、モテる人って話す時の主語を相手にするから自然と名前を呼んでいるんだよね。無理やり呼びかけたりしなくても会話の中で自然と相手の名前が出るの。だから名前を呼びなれているし単純に数を稼げてる。
〇〇さんはどう思う?〇〇さんはどっちが好き?〇〇さんだったらこういう時どうする?〇〇さんって××なところあるよね、〇〇さんの××なところ好き、などなど。
これはわたしの周りのモテる人は押し並べてやってること。だからわたしもその人たちと話すときは、自然と相手を主語にして会話するようになった。そうすると話が尽きなくて、特に気の合う男とはベッドに入ってもお喋りが尽きなくてそのままうっかり夜が明けてしまったりする。(いかにも双子座らしい話だね)ラブアゲインという素敵な映画ですけこましのライアン・ゴズリングがエマ・ストーンとの会話が楽しすぎてセックスせずに眠ってしまって、その後二人は真剣なお付き合いに発展する。いかにも自然な馴れ初めだなと思ったし、素敵じゃない?
悪口が冴えてる人
悪口に関しては関西の人には絶対勝てないと思う。キレがすごいもんね。
悪口が最高にうまくて思わず笑っちゃう人っていうのがたまにいて、そういう人はモテている。だからわたしは西贔屓してしまう。
面白い悪口の上の段階には、悪口ごしに愛を透けさせるという高等技術があって笑える悪口とそれの合わせ技ができる人は頭の回転がはやいのでものすごくモテてる。悪口がうまければ、その逆の口説くのなんて簡単なんだから。悪口ノートでも作ろうかな。いや真面目に。
自分は頭がいいと相手に思わせる人
これはわたしが他人によく言われることで、話していると自分が天才になった気がする、頭が良くなった気がする、アイディアが湧いてくる、創作意欲が湧く、自分のことがよくわかる、自分をよく知れる、とかそんな感じ。その後にほぼ、あなたと話していると本当に楽しいとくる。嬉しい。
これは別に相手を持ち上げる必要はなくて、相手の会話で足りないところを補う作業をしていると言われる。相手を持ち上げすぎると相手によっては嫌われるし。会話をしているとどうしても矛盾とか気になるところが出てくるから、そこを突っ込んで聞くと本人も自分で気づいていなかった本音が出てきたり、無意識に本音を隠そうとしている自分に気づいたりするみたい。創作に関しては夜に見た夢の話とか感じていることを素直に話すと相手が勝手になんかしらのインスピレーションを得ている。
最後だけなんかわたしメインの話になったけど、まあこんな感じ。
総じて言うと、モテる人って話していて楽しい人なんだよね。そんなの当たり前だろ!と思うかもしれないけど、会話が上手くて話しているだけで楽しいって実は異常なことで、なかなかそんな人はいないからね。もちろん相性もあるし、一歩間違えばおしゃべり野郎になっちゃう。
本当はもっとモテる、人に好かれる要素はあるけど、とりあえず3つメモした。アッパーなやつだけだし。よくあるモテる人の特徴とは別のところから攻めてみた。(あんなんなんの参考にもならん)楽しいからまた気が向いたら書こう。
大切にするっていうのは、丁寧に愛をもってして手入れして常にそのものを美しくいい状態にしておくことだよ。
だいじだいじにしまいこんで、たまに思い出したかのように取り出して眺めている状況は大切にしているとは言えないわけ。
そのへん履き違えると人間だめになるよ。
大切にするよって宣言しなくてもそれを行う人は勝手に行う。大切にしているという感覚もないと思うけど。これが自分には大切だな、とふと思うことはするだろうけど、大切にしている!とメラメラは来ない。これを知っているかいないかで付き合う人間も変わる。
昨日の夜中、突然目が覚めて閃いたの。彼はゲイなんじゃないかって。
と友達に話したら結構ウケて気分いい。友達にはそのひらめきが突拍子のないことに聞こえたらしい。
最近デートしていたボンがいるんだけれども、紳士的で清潔感があって、でも何か違和感があった。わたしの見た目を褒めてくれる、対応や仕草も褒めてくれる、でも何か違くない?って。なんだか女に褒められている気分だな?って。今までにないなって。いつも彼と話していると全然男といる気がしない。
最初はこの人とお付き合いするのかな?って一瞬思ったけど、それはこちら側のレーダーのバグだった模様。
友達には、もうこうなったらゲイの方がいいかな、わたしが好きになりかけた人はゲイでしたってそれは平和極まりないなって言ってみた。そうしたらわたしたちはこれからもお互いがお互いを脅かさない限り会うことができる。
昔見た夢を思い出した。窓の外には落ちていく太陽。わたしは浴衣を着て同じく浴衣を着た男の膝枕で寛いでいる。男は徐にわたしの体を起こし、抱きしめ、わたしはその気になって男の唇にキスをする。でも男の反応がない。どうしたの?と訊ねると、ごめん、俺は男が好きなんだ、と男は言う。わたしはその時、全く落胆せずに、そうなんだ、と言ってなぜか満たされたような清々しいような気分になって男に笑いかけて、そこで目が覚めた。
わたしには表立って異性愛者、もしくは無性愛者(いわゆるアセクシャル)の友達しかいないけど、わたしにとって同性愛も異性愛も無性愛も単数愛も複数愛もトランスジェンダーもバイセクシャルもなんだか複雑そうに語られるジェンダーなんてどうでもいい。わたしは異性愛者で複数愛者の気もかなりあるけど、それを問題にはしないし話し合わないし、普段セクシャリティのことなんて考えもしない。自分のこのスタンスが素晴らしいとも愚かだとも思わない。ただみんなが個人の領域を侵される不安を持たない世界になったらいいなと思うだけ。
ああもし彼がゲイだったら、、、本当どうでもいいことだな。
いや、美人は3日で飽きない。慣れはするけど飽きるはずがない。だってかっこいい恋人や可愛い友達はいつ見てもかっこいいし可愛いなって感心するし、容姿について頻繁に褒められる側の人間であるわたしがそう言うのだから間違いない。
この顔と体に慣れ親しんでいるはずの親や恋人や友達ですら、思い出したかのように外見に関する褒め言葉を口にする。
わたしも顔がいい友達や恋人をたまに心から褒めてしまう。いつ見ても綺麗だよねとか、本当整ってかっこいい顔だよねとか、骨格から美しいなとかまあ色々と。
やっぱり褒めるとお互い気分がいいよ。外見も内面も、いいと思ったら即口にする。インスタントな幸せな世界。
最近言われて嬉しかったのは、『写真を整理していて思ったんだけど、君ってすごく美人だね』。
お気に入りの褒め言葉は元恋人に対して言う、『よくその綺麗な骨格の中に大きな目と鼻と口がバランスよく収まっているよね、見るたび驚くわ』ってやつ。長いけどこれ言うと嬉しそうだから割と口にしてしまう。
大丈夫。美人は3日で飽きられない。だから安心して美人になろう。
以下わたしの好きな美人。
どうしたら男が切れないのか聞かれたから考えてみたんだけど、心を隠して体をオープンにするか、体を委ねず心をオープンにするか、どちらかを徹底してると異性には困らないんだよ。
わたしは心をオープンにするのが苦手だから前者でやってしまう。言うは易しで、実際やれと言われてやれるもんでもないけどな。
追加。2018.3.1
最近長い付き合いの人や稀に信頼できる人には心も体もオープンにしてるんだけど、それはそれでとても良い。
わたしは天邪鬼な人間なので、ジム・ジャームッシュの撮った映画を愛していても素晴らしいとか言いたくない。
いやいや素晴らしいとか似合わなくない?だってジャームッシュだよ?あのジム・ジャームッシュだよ。
と(敬意を払って)思う。
新宿武蔵野館でパターソンを観た。
真面目な空気にびっくり。早稲田松竹でオンリーラヴァーズレフトアライヴを観た時も思ったけど、みんな全然笑わないんだもん。ジャームッシュってギャグ線高くない?オフビートですよオフビート。ジャームッシュの映画についてオフビートとか言うのはかなり恥ずかしいけど。(だいたいアダム・ドライバーって名前の人がバス・ドライバー役なんだぞ。これが偶然とかもう既に変でしょ。)
パターソンは今までの集大成、ジャームッシュが帰ってきた、などと書かれているのを見かけたけど、いやいや此の期に及んで進化していませんか?と。ジャームッシュはどこにも行っていない。(シャマラン監督も同じようなことを言われていたけど、あれはなんかわかる)
原点回帰っぽく見えるだけで、分かりやすく映画的に作られていると思った。いい話風でテンポが良くて昔と違って意味のないシーンやキャラクターが見当たらないし。それぞれに役割があった。細かく説明するのは面倒だからしないけど。
そしてパターソンが性格的に真面目だからなのか、全体にわたって砕けていないというか、明らかにふざけておかしいというところもなかったね。
過去のジャームッシュの映画は、時系列が怪しい友達の話を聞きながら脳内再生してるって感じで映画を観ているという気がしなかったけど、パターソンはちゃんとした映画を観たって感じがした。(まあ主観だし、前作からそんな感じだけど)(あまりにも原点回帰原点回帰言われてるから)
何が映画的だったんだろうと考えると、多分彼女、奥さん?の存在が大きいかな。あの人がいることでお話に統一感が出て、かつ昨日と今日はまるで別の日っていう感じが強まる気がする。だって彼女1人が忙しないから。あの彼女は一貫して今を生きてる女だから。
あとね、笑えるシーン(ギャグシーン?)の扱いもちょっと変わった気がする。パターソンではギャグシーンでも意味がわかる、前後との繋がりがあるシーンになってる。過去のは突如として現れて、は?!意味がわからない!?でもつい笑っちゃう、って驚きがあったけどパターソンではそれがなかったな。唯一近かったのはコインランドリーのシーンかなと思ったけど、彼も詩作をしていたわけだから無関係というわけでもないし。
パターソンついて、別段いい映画だなあと感慨には浸らないし、繰り返される日常が愛おしいんだよね、みたいな感想は浮かんでこない。パターソンもそうは思ってはなさそうだったし。ああコピーとっときゃよかったなぁとは思っただろうけど。
追記。この日パターソンの奥さんぽいスカートはいてた。