消耗なんてしません。

※中毒性があります。

だいじだいじのそのあとは?

大切にするっていうのは、丁寧に愛をもってして手入れして常にそのものを美しくいい状態にしておくことだよ。

だいじだいじにしまいこんで、たまに思い出したかのように取り出して眺めている状況は大切にしているとは言えないわけ。

そのへん履き違えると人間だめになるよ。

大切にするよって宣言しなくてもそれを行う人は勝手に行う。大切にしているという感覚もないと思うけど。これが自分には大切だな、とふと思うことはするだろうけど、大切にしている!とメラメラは来ない。これを知っているかいないかで付き合う人間も変わる。

ゲイ疑惑。でもそんなのどうでもいいし。

昨日の夜中、突然目が覚めて閃いたの。彼はゲイなんじゃないかって。

と友達に話したら結構ウケて気分いい。友達にはそのひらめきが突拍子のないことに聞こえたらしい。

 

最近デートしていたボンがいるんだけれども、紳士的で清潔感があって、でも何か違和感があった。わたしの見た目を褒めてくれる、対応や仕草も褒めてくれる、でも何か違くない?って。なんだか女に褒められている気分だな?って。今までにないなって。いつも彼と話していると全然男といる気がしない。

最初はこの人とお付き合いするのかな?って一瞬思ったけど、それはこちら側のレーダーのバグだった模様。

友達には、もうこうなったらゲイの方がいいかな、わたしが好きになりかけた人はゲイでしたってそれは平和極まりないなって言ってみた。そうしたらわたしたちはこれからもお互いがお互いを脅かさない限り会うことができる。

 

昔見た夢を思い出した。窓の外には落ちていく太陽。わたしは浴衣を着て同じく浴衣を着た男の膝枕で寛いでいる。男は徐にわたしの体を起こし、抱きしめ、わたしはその気になって男の唇にキスをする。でも男の反応がない。どうしたの?と訊ねると、ごめん、俺は男が好きなんだ、と男は言う。わたしはその時、全く落胆せずに、そうなんだ、と言ってなぜか満たされたような清々しいような気分になって男に笑いかけて、そこで目が覚めた。

わたしには表立って異性愛者、もしくは無性愛者(いわゆるアセクシャル)の友達しかいないけど、わたしにとって同性愛も異性愛も無性愛も単数愛も複数愛もトランスジェンダーバイセクシャルもなんだか複雑そうに語られるジェンダーなんてどうでもいい。わたしは異性愛者で複数愛者の気もかなりあるけど、それを問題にはしないし話し合わないし、普段セクシャリティのことなんて考えもしない。自分のこのスタンスが素晴らしいとも愚かだとも思わない。ただみんなが個人の領域を侵される不安を持たない世界になったらいいなと思うだけ。

 

ああもし彼がゲイだったら、、、本当どうでもいいことだな。

美人は3日で飽きられるのか。

 いや、美人は3日で飽きない。慣れはするけど飽きるはずがない。

容姿について頻繁に褒められる側の人間であるわたしが言うのだから間違いない。

もうこの顔と体に慣れ親しんでいるはずの親や恋人や友達ですら、思い出したかのように外見に関する褒め言葉を口にする。

わたしも顔がいい友達や恋人をたまに心から褒めてしまうもん。いつ見ても綺麗だよねとか、本当整ってかっこいい顔だよねとか、骨格から美しいなとかまあ色々と。

やっぱり褒めるとお互い気分がいいよ。外見も内面も、いいと思ったら即口にする。インスタントな幸せな世界。

 

最近言われて嬉しかったのは、『写真を整理していて思ったんだけど、君ってすごく美人だね』。

お気に入りの褒め言葉は元恋人に対して言う、『よくその綺麗な骨格の中に大きな目と鼻と口がバランスよく収まっているよね、見るたび驚くわ』ってやつ。長いけどこれ言うと嬉しそうだから割と口にしてしまう。

 

大丈夫。美人は3日で飽きられない。だから安心して美人になろう。

以下わたしの好きな美人。

f:id:himilk:20170911181839p:image

f:id:himilk:20170911182048j:image

 

 

どうしたら男が切れないのか聞かれたから考えてみたんだけど、心を隠して体をオープンにするか、体を委ねず心をオープンにするか、どちらかを徹底してると異性には困らないんだよ。

わたしは心をオープンにするのが苦手だから前者でやってしまう。言うは易しで、実際やれと言われてやれるもんでもないけどな。

映画 パターソン ジャームッシュを礼賛したくないの。

f:id:himilk:20170909201046j:image

わたしは天邪鬼な人間なので、ジム・ジャームッシュの撮った映画を愛していても素晴らしいとか言いたくない。

いやいや素晴らしいとか似合わなくない?だってジャームッシュだよ?あのジム・ジャームッシュだよ。

と(敬意を払って)思う。

 

新宿武蔵野館でパターソンを観た。

真面目な空気にびっくり。早稲田松竹でオンリーラヴァーズレフトアライヴを観た時も思ったけど、みんな全然笑わないんだもん。ジャームッシュってギャグ線高くない?オフビートですよオフビート。ジャームッシュの映画についてオフビートとか言うのはかなり恥ずかしいけど。(だいたいアダム・ドライバーって名前の人がバス・ドライバー役なんだぞ。これが偶然とかもう既に変でしょ。)

 

パターソンは今までの集大成、ジャームッシュが帰ってきた、などと書かれているのを見かけたけど、いやいや此の期に及んで進化していませんか?と。ジャームッシュはどこにも行っていない。(シャマラン監督も同じようなことを言われていたけど、あれはなんかわかる)

原点回帰っぽく見えるだけで、分かりやすく映画的に作られていると思った。いい話風でテンポが良くて昔と違って意味のないシーンやキャラクターが見当たらないし。それぞれに役割があった。細かく説明するのは面倒だからしないけど。

そしてパターソンが性格的に真面目だからなのか、全体にわたって砕けていないというか、明らかにふざけておかしいというところもなかったね。

過去のジャームッシュの映画は、時系列が怪しい友達の話を聞きながら脳内再生してるって感じで映画を観ているという気がしなかったけど、パターソンはちゃんとした映画を観たって感じがした。(まあ主観だし、前作からそんな感じだけど)(あまりにも原点回帰原点回帰言われてるから)

何が映画的だったんだろうと考えると、多分彼女、奥さん?の存在が大きいかな。あの人がいることでお話に統一感が出て、かつ昨日と今日はまるで別の日っていう感じが強まる気がする。だって彼女1人が忙しないから。あの彼女は一貫して今を生きてる女だから。

あとね、笑えるシーン(ギャグシーン?)の扱いもちょっと変わった気がする。パターソンではギャグシーンでも意味がわかる、前後との繋がりがあるシーンになってる。過去のは突如として現れて、は?!意味がわからない!?でもつい笑っちゃう、って驚きがあったけどパターソンではそれがなかったな。唯一近かったのはコインランドリーのシーンかなと思ったけど、彼も詩作をしていたわけだから無関係というわけでもないし。

 

パターソンついて、別段いい映画だなあと感慨には浸らないし、繰り返される日常が愛おしいんだよね、みたいな感想は浮かんでこない。パターソンもそうは思ってはなさそうだったし。ああコピーとっときゃよかったなぁとは思っただろうけど。

 

 

追記。この日パターソンの奥さんぽいスカートはいてた。

f:id:himilk:20170911161614j:image

ジャームッシュを素晴らしいと言うひとは信頼できない。

ジム・ジャームッシュが好き。素晴らしくないところが好き。

最近やたらとパターソンが絶賛されているのを見かけるけど、シネマハスラーで取り上げられたから観た人が多いのかな。オンリーラヴァーズレフトアライヴだってゴーストドッグだってパーマネントヴァケーションだってダウンバイローだって等しく面白いよ。これを機に他のも観てよね。

今回の主演のアダム・ドライバーはヤング・アダルト・ニューヨークでどうにもいけすかない役を演じていてそれにハマりすぎていたからか好きじゃないんだよな。

と言うことで今日は仕事終わったらパターソン観る。

観たらここになんか書く。

映画 ウーナ だってあなたは愛してるって言った。

f:id:himilk:20170909000700j:image

『UNA』

ルーニー・マーラベン・メンデルソーンの悲しい映画を観た。ウーナは名前。ルーニー・マーラ演じる見た目は美しいけど、幼くて光の射さない目を持つ大人の女。

f:id:himilk:20170909000711j:image

セックスのシーンがけっこうある。でもどのシーンも醜い。冒頭の鏡に顔を押し付けての後背位でのセックスなんて特に汚く見えるし、トイレに反響する声は喘ぎ声には遠く、呻き声にしか聞こえない。それにトイレというシュチュエーションが全てを物語っている。

ウーナにとってレイとの恋あい、性行為だけが幸せで最上だったということ。それ以外はゴミ。それはゴミみたいなことをしている自分もゴミってこと。そしてゴミでいることがレイとの恋あいを鮮明なまま覚えていられる手段にもなっている。

拠り所のない虚しい生活を送る中では、皮肉にもレイとの思い出が唯一ウーナを支えるもので、だからあの場所から離れられないし離れたくない。そこにいることで自分の人生が進まなくても、レイが帰ってこないとわかっていてもそこからどうしても動けない。大人になったはずのウーナが今苦しんでいることの全てをレイの仕打ちのせいにしたい、でもレイを明確に好きだった、愛していたという事実は消すことができない。レイが自分を愛していたという確証が欲しい、レイに愛されていたと信じている、でももしかしたらただのロリコン野郎だったのかもしれない。

物語中頃までは思春期の強烈な体験に、自分で自分を縛り付けているのかと思った。でもそれに勝るものなんてウーナの人生にはない。たぶん、全ての感情の昂り(最高潮)を1つの恋あいで経験してしまったら他のことなんてゼロに等しい。それを喪ったら当然心は死ぬ。ウーナにとって、時が経てば悲しみは薄れてその内忘れるという、普通の人には起こる都合のいい現象は起きない。タフじゃないから。情動の成長段階で壊されてしまったらタフになりようがないから。ウーナの立ち姿を見れば、人生が止まっている女性だということが分かる。痩せすぎた裸の背中はウーナの精神の脆さや、ウーナの心が修復不可能なほど壊れていることを物語る。

ストーリーの終わりの方、2人が観覧車に乗っているシーンで本当のことが明かされる。レイが言っていた人生最大の過ちってウーナと恋あい関係になったことではなく、もっと早くあの部屋に戻らなかったことだね。戻ったところでどうとも言えないかもしれないけど。

 

いいなと思った字幕があった。fucked meっていうのを、わたしの中に入ったと訳していたのがよかった。秋の夜長、悲しい話を観て過ごすのもよかった。